アイ・アム・サム

予告編を見たとき、これだ! と思ったのだ。それは、『インディペンデンス・ディ』の予告編を見たときの思いと似ている。スノッブな映画ファンにひと目で馬鹿にされるような映画でも、ここまでベタベタに狙い済まして、そしてこの上なく豪華な作りでやってくれれば、それでいいじゃないか! 見ろ、あの子役の出来すぎた演技を!

しかし、そんな少々邪悪な希望に、映画は満足に応えてくれなかった。これはインディペンデンス・ディレベルじゃない。セガール映画レベルだ。そう、『セガール映画』なのだ。スティーブン セガールが出来すぎた最強アクションを見せつけてそれで客に満足を押し売りするように、ショーン・ペンの出来すぎた知的障害者演技を見せつけて、それでオッケーなのだ。それで、いいのだ。

僕はこの映画を、弁護士モノの高品位テレビシリーズである "Law&Order" とか『ザ・プラクティス』がそのまま映画にスケールアップしたものだと思い込んでいたのだ。しかしストーリーの内容は、テレビ作品に全く劣るものだった。一応は社会派作品のカテゴリーに入るだろうに、アーギュメントがほとんど無い。裁判モノである意味が無い。敵弁護士役のリチャード・シフは "West Wing" や他のクオリティ テレビシリーズで辣腕弁護士役がハマり役であることを十二分に示してるのに、ちょいと喋って勝って終わりだ。もったいなさすぎる。30分ぐらい演説させて味方と観客を苦悩させろよ。なんだあの全ての問題を投げ出したオチは。せめて法廷で勝訴させて終われっ!

だが、それは的外れな批評なのだ。もとからこの映画は裁判映画でないのだ。要はショーン・ペンと子役のダコタ・ファニングの演技をビートルズをバックにとうとうと見せ続けて、それでみんな泣けばいいのだ。それで、いいのだ。ちぇっ。