HDTVの普及とテレビの階層化

ふと思ったんだけど、HDTVが普及してきて、高品位ドラマシリーズの絵作りもずいぶん変わってきたように見受ける。たとえば『ニップ・タック』なんかで顕著かなと思うんだけど、ロングショットが多く、また同じロングでも人間のサイズが小さめだ。

スタンダード・サイズだった頃のクオリティ・ドラマ(例えば『プラクティス』とか)だと、対話シーンではピントをおいてない聞き手の背中アップが画面の半分ぐらいをふさいで、その奥に話者が画面を向いてバストショットって絵が多かったと思う。シロウト考えだけど、物理的に小さなテレビ画面でも分かりやすい構成で、話者と聞き手の対比で画面にメリハリが出るし、なおかつ聞き手で背景を隠せるから美術もごまかせるという、巧いやりかただったんだと思う。もちろん、多いときは画面の2/3をボケた役者の背中で埋めるんだから、この絵をテレビでやろうと決断したヒトは勇気があったんだなと思うんだけど。

ところが、レターボックスサイズになると、この構図を多用する必要が無くなってくる。受像機側もHDならある程度大きくて細密だから、ロングでもどっちが喋ってどっちが聞いてるのかちゃんと判るからだ。

しかし考えてみれば、HDTVアメリカでも日本でもまだまだ全世帯に普及してはいない。例えHDTVでも、画面が30インチ以下ではアップがまだまだ必要なハズだ。

と、すると、海外ドラマの製作者、特に画面作りにも手をかけてるクオリティ・ドラマの製作者は、また自分のクビを絞めることになりやしないだろうか。
以前(といっても21世紀に入ってから)、『アメリカン・アイドル』みたいなドキュメンタリ風のリアリティ・ショウが大ブームとなって、ドラマ枠を圧迫したとき、“クオリティドラマは政治や社会性を強調した小難しい内容で、単純な娯楽を求める視聴者層をふるい落とし、結果としてリアリティ番組の跳梁を許す事になったのでは?”と勘ぐった。
同じように、今度は単純に「何が映ってるのかわからない」という理由から、大画面テレビを購入しない層に見切りをつけられちゃうんじゃないだろうか。そういう層は、もっと単純な絵づくりのソープ・オペラとか、素人がYouTubeにアップしたホームビデオなんかを楽しむようになるのかもしれない。