月刊言語:ゾウ語の謎

gasoline2007-01-17



今月の『月間言語』のコラムに、「ゾウ語の研究」というのがあった。月間言語もいよいよ非人類言語の研究に関わり始めたかと思ったら、ゾウの話す言葉でなく、“ゾウ使いがゾウに命令する言葉”のことだった。でもこれがおもしろい。

インドシナ各国にはゾウを操る民族が多くいるけど、彼らがゾウに対して用いる単語のいくつかは、国家民族を超えて、ほぼ共通だというのだ。しかもどの民族が人間に対して用いる単語とも、似ていないという。

例えば犬に対して日本人なら「お座り」、アメリカ人なら "sit!" と言うのに、象を座らせるときは日米共通で、"'uSDaj chop chev!" という音を発する、そんな感じだ。

操象文化の主流はモン・クメール系民族のようだが、各地のゾウ語を比較研究すれば、過去の操象文化や民族、言語の変遷がわかるかもしれない。ところがこの研究には問題があって、そもそもゾウ語は動詞だけで、名詞が無い(ゾウにお父さんという単語を教えるかっつー話)。前途多難というオチがついてこのコラムは終わってる。

しかし、ゆるSFファンとしては、これはぜひ別の可能性を夢想していきたい。

高度な知能を持つことで知られるゾウは、実はゾウ族同士のコミュニケーション能力も高いのかもしれない。そして、自分たちを使役させようとする人間に、集団的にコミュニケーションを試みようとしていたら?

太古、まだ操像を知らない各地の人々が話す無数の言葉のうち、ゾウたちにとってなんらかの基準で意味のあるものだけを選択的に聞き取って、反応を人間に示した結果、各民族で共通の音韻が生き残り、ゾウ語となったのかもしれない。ゾウ語はゾウに促され、各地で同時発生したのだ。

あるいは、ゾウたちが各民族の自分たちに対する態度を測り、自分たちをよく扱う民族の言葉だけを聞くようにした結果、他民族のゾウ語は淘汰され、優良な操象文化と言語だけが残ったのかもしれない。
もっとベタに考えれば、現在の操象文化の源流となった失われた文明があるのかもしれない。その文明は、過去複数の民族の操象に圧倒的な影響を与え、ゆえに地理的な分断も激しいインドシナ半島で現在も残っているのだ。彼らのオリジナルなゾウ語は、現在のそれより遥かに高度で、我々が想像できる以上のゾウとの関係を築いていたのではないだろうか。古代ゾウ語は、名詞も文法もあり、本当にゾウと対話できる言語だったのかもしれない……。

象を想うと書いて想像。妄想がふくらむコラムだった。こんなん誰が書いたんやと思って見たら、高野秀行だった。なるほどね。