中国、2010年の月面探査を計画

ソースは人民網などから。弱すぎるし、遅すぎる。2015年に人類を月へ、とでも言って欲しかった。

実のところ、人類が月に行く機会は、もし“いま”中国がやらなければ、今後永遠に無くなってしまうのではないか、という危機感があったりもする。

人類が月より遠い宇宙に行ける可能性は、もはや物理的に可能かとかそういう問題じゃなくて、民主資本主義社会下の国民が要請するか否か、予算を与えるか否かに懸かっている訳で、そんな要請は現実的に予想する限り、現在&近未来の社会のどこにも無い。奇跡的にコストと安全面の釣り合いが取れてしまって月面旅行が商売にでもなれば別だが、しかしその可能性は、20世紀初期に共産革命をやって真の理想的安定社会を作りうる可能性と同じぐらい低い。アポロの陰には米ソ軍拡競争と言う、国民の利害に結びついた国家の利害があったわけで、ああいうものがもはや存在しない世界では、アメリカもヨーロッパも日本も、もはや月に行くのは無理だ。

ところが、中国ならできる。それも、“いま”の中国なら。そう強く思ったのは、9月に上海を訪れたときだ。

たまたまピカピカの展示場で催されていた、上海の都市開発を展示するイベントに入った。その最大の目玉は、フロアをまるまるひとつ使った上海開発計画完成予想図のディオラマだった。そこには、古い建物が全て撤去され、高層マンションと多少の緑のみで構築された広域上海があった。ンなバカな、と一瞬思ったが、すぐに、『コイツらならやりかねん!』と思いなおした。まだ殆どの地区で住居環境が劣悪で、権利よりもとりあえずキレイな生活を手に入れたい市民が大多数を占める都市でなら、法だ権利だギャーギャー騒ぎ立てる前に突貫で古いモノを全て壊して、力技で新しいものに作りかえることができるのではないか。行政がプロパガンダ打ちまくって市民を誘導すれば、簡単なのではないか。

これと同じ理論で、中国の有人月面探査計画も進め得るのではないか。5,60年代日本と同様の猛烈さで、より良い&より金持ちな生活を求めがむしゃらに突き進む国民に対して、宇宙計画を(日本の万博の10倍の効果のある)社会発展の象徴としてさしだせば、行けてしまうのではいか? まだ国民の権利意識が低いうちなら。人件費・物価が安いうちなら。国家予算を指導部の独断で使えるうちなら。

仮に、15年先ぐらいの“未来の”中国で、「これから10年で月まで行きますよ」と言っても、恐らくそれは無理だろう。その頃にはある程度中国でも市民生活に余裕が出てきて、安定した生活を求めるための権利に目覚める市民が増え、法が整備され、法治と利害が複雑に絡み合った予算運営が実行されるだろうから。

だから、いましかないのだと思う。中国が月に行く計画を発表するタイミングは。そして人類が再び月に行けるタイミングは。



ところで、マーフィの基本法則のひとつに「予想は必ず外れる」というものがある。なんにしろ、それを厳密に予想・予測・仮定すればするほど、それが実現する可能性は低くなるのだ(ていうかこりゃマーフィでもなんでもなくただの確率だな)。要するに、だ。ここで「中国をおいて再び人類が月に行くことはない」とガッチリ予想しておけば、その予想は絶対外れてくれるのだ。これで中国人以外の我々も自由に月に行ける時代が来ることが予想されたも同然!(←この文は予想ではなく「予想されたも同然」の文なので、マーフィの基本則から外れるのだ)

なんだか書いてて意味わかんなくなってきた。眠いんか自分。