紛争とか民族とか。

双方とも絶望的な雰囲気ですな、パレスチナのあたりは。イスラエルにとってみりゃ今まで4度だかの戦争で経験したことのない犠牲の多さだろうし、そりゃああもなるかな、とも思えてしまう。

イスラエル側のアグレッシブさを分析するのに、一神教の主義とか原理とかそういう宗教的、歴史的な民族性という部分にまで触れているリポートをちらっと見たけど、そこまでいったらチガウというか、幻想入ってるというか、思うですよ。よりにもよって一神教の民族がああいうものだからああ闘う、つうのは絶対おかしい。民族性なんてアヤフヤだし、コロコロ変わるものだ。それはあなた、自分がガイジンから指差されて「オマエは二千年前から変わらぬニホンジンの血を引いたもので、オマエの中には二千年の民族的性格があり、六十年前の戦争で見せた狂気もオマエの民族性の一部なのだ!」と言われたら、そりゃチガウと思うし否定したいでしょう。そういう理由で、超長期間不変の民族性や宗教感などありゃしない、と。

もし民族として今ひきずっているものがあるとするなら、それはもっと近い記憶、ユダヤ人ならばやっぱり、ホロコーストだと思う。戦争期間、ドイツ勢力圏外にいてあの圧倒的な弾圧を受けなかったユダヤ人はたくさんいる。でも、あの民族の一部が味わった悲劇は最大公約数的な民族の記憶となって、イスラエルができたとき「二度とああはならない。虐殺されない。服従させられない。絶対に負けない」という意識をかたちづくったのではないかと。その意識が、数々の文字通り負けなかった戦争を通していまも続いてるんじゃないかなあ。ああいう対外的アグレッシブさというものは、ついこないだ虐げられた者たちだから持ち得るものなのでは。だから、イスラエルを非難するのもどこか忸怩たる思いがある。

しかしテレビが地上波しか入らなくて良かった。ニュージーにいたとき見たく深夜にBBCがノンストップで入るようになってたら、このいざこざが始まったばかりの頃より10倍激しいリポート映像と双方の代弁者の声張り裂けんばかりの主張に、押しつぶされてたかもしれん。

  • 朝ジャムパン。
  • 昼カレーパン。
  • 夜キャベツとか。