口論描写の革命について

ちょっとテレビのことで書きたくなったんで書きます。携帯入力じゃないんで長文。ほんとは本家に書くべきなんだけど。

(元)テレビウォッチャーとして、こちらの日記で紹介されている“口論描写の革命”、つまり二人の役者が同時に喋り、セリフでの中身はなくシチュエーションそのもので口論を描くやりかたが、いつどこで始まったのかにはずっと興味を持っていたのだけれど、映画では1995年の『クリムゾン・タイド』を最初とみなせるようだ。なるほどひとつ発見。

テレビ側ではこの手法の始まりはもう少し古く(実の元祖はもっと大昔の別のマイナー映画だったり、舞台劇だったりする可能性は高いけれど)、実のところ90年代のクオリティ・ドラマの最も特徴的な手法のひとつだ。クィーキーの名の通りスピード感を増すテレビドラマの潮流の中で生まれた、小さなテレビ画面というハンディキャップを超えて、少ない動きで場面に圧倒的なスピードと迫力を生み出す手法である。95年は『ER』、『シカゴホープ』も始まっており、この手法は円熟味を増してきた頃だ。それを映画に転用し、当然ながらテレビ以上のクオリティを出したクリムゾン・タイド(僕も大好きな映画)は、確かに口喧嘩映画の最高峰なのだ。

で、じゃあテレビでこれを始まったのは、いつなのか、と。強く印象に残っているのはデヴィッド・E・ケリーの『ピケットフェンス』('92-'96)で、同作にはその原型とも思える“片方だけが延々と話し続ける”というシーンも多い(フィバッシュ・フィンケルの演技)。ピケットフェンスはケリーのテレビの総てが濃縮されている作品で、この革命的な手法も本作でケリーによって導入されたと見たいけれど、それはケリー贔屓すぎかしら?

ケリーで無いにしろ、口論描写は弁護士ドラマが元祖である可能性は高い。ボチコの傑作でありケリーの出世作でもある『L.A.ロー』('86-'94)で生み出されたのかもしれないし、実はウォルフの『ロー&オーダー』('90-NOW)という線もある。

しかしスピード感の演出という意味では、既に『ヒルストリートブルース』や『チャイナ・ビーチ』で始まっていた可能性も……。いやチャイナビーチではそんな描写は目にしなかったと思うが……。

……と、いずれにしても、高品位テレビシリーズが数十数百のエピソードを繰り返し演出の質を上げてゆくうち、まるでキリンの首が突然進化し伸びたかのように、この手法が生み出されたのではないかと想像すると、改めてアメリカの20世紀末テレビドラマの潮流にときめきを憶えるのでした。


あー久々にテレビのこと思い出したら、ちゃんと観たくなった。ロー&オーダーの第1シーズンDVDセット、買っちゃおうかな……。リージョン1のDVDプレーヤと一緒に。