あー。

gasoline2003-11-27


写真は台場のよく知らんモニュメント。
そういやこないだまた歳を取ったんだけど、恐いのは恋愛のことだ。目に見えて難しくなってきた。
恋愛に巧くない人間のありがちパターン、「よく一緒にいていつの間にか」がどんどん成立しづらくなってきたのが、身にしみてわかってきた。ちょっと……ごくほんのちょっと、年上のおねえさんたちの背後に、結婚・出産のオーラがほの見える、時として最期のドズル・ザビのように瞑く立ち上ぼるのがわかっちゃう。僕のようにまともにカイシャに勤めず、スキあらば海外、それもウズベキスタンボリビアに高飛びしようと考えてるダメ人間と、遊んでる歳じゃない。そんな当たり前の意思が、体をとおしてひしひしと感じられてしまう年齢になってしまい、悩む。それはもうこんな風に書いちゃうぐらい。
圧倒的なのは結婚ではなく、出産だ。冷凍保存技術でもはや時空を超えた受精でさえ可能となった男性と違い、胎児をキャリーできるという生理的特性を行使できる女性が、出産というものを少しでも真剣に考えたとき、その思い入れが中央アジアで稲作をいとなむ朝鮮族シモン・ボリバルの偉業への憧れより強いだろうことは、確かにわかる(この理解はしかし出産を意図しない多くの女性に対して多分に失礼であるけれど)。つきつめれば、僕にはそれが、子孫を残したいとか、幸せな家庭を作りたいとか、そういうことじゃなく、例えば「野球選手になりたい」と同列の欲求に感じられる。個人の可能性の問題なんだろう。ただ、長い修行や環境や才能によって縛られる野球選手への可能性と違い、出産の可能性は圧倒的多数の女性に降ってくる。たった一度の正しい選択でプロになりえるのなら、目の前の明らかに間違った選択をするのか、という話。そんなひとが周りにどんどん増えてゆく環境で、僕は、誰に、いまこの手を握ってほしい欲求を向ければいいんだ。
そんなわけで、今後は辛い話だが、ますます恋愛への技術が要求されるようになるんだろう。シビアな駆け引きをくぐり抜け、不本意でも相手を騙し、自分を騙し、お互いを落とし込んでゆく狡猾な技術が。無理だよちくしょう! 20代半ばまでにそんなことやって来なかった人間が、30代でいきなりできるようになるかっつーの。こうして恋愛はどんどん萎んでゆく。
認識しなきゃ。僕の目前には安易で公平でストレートな恋愛はもう見えない。それこそジェナイ族のように性別がなくなり体外受精が当たり前になるぐらい世界が変容しないかぎり。ネットの向こうに見えるリベラルなひと同士の幸せな恋愛の話は、銀河の中の7万光年離れた恒星の輝きと同じで、ワープしたってとどきやしない。いま、僕の手のとどく宇宙の中で、手を重ねられる相手を懸命に探すしかないのだ。
 
と、こんな事書いてたら地下鉄乗り越してしまった。青山一丁目てドコだここーッ!