花様年華

 久々にジムに行った。
 ジムののち、某さんが何故か大学の中国学生学者聯諠会(大陸中国系のサークル)の定例週末ビデオ上映会の招待券を持ってきたので、一緒に観に行った。毎回わりと新しめの作品が、どういう経路で入ってきたのかは知らないが上映される。今回は 花様年華ウォン・カーウァイとかいう有名な香港人監督のアート。だがようけ知らんわ。最後に見た香港映画といえばジェネックス・コップとかいうやつで、刑事のおやっさんがパラシュート降下中に脳天打ちぬかれそのまま血ィ出しながら笑顔でふわ〜っと降りて来るシーンにド肝を抜かれた。今回はそんなんと違うとええけどな。

 感想。えっれえキレエな恋愛映画でしたアルヨ。設定とか全く知らずに行った上に英語・北京語の字幕もプロジェクタ上映のビデオの為に判別しづらく最初の10分は何が何やらだったけど、主人公の男女がくっつき始めたあたりから製作者の画策した「恋愛空間」に引きずり込まれるのが自分でもわかる。2人の見せるほんの些細な「間」に、あひゃふふはフフとかため息ともつかぬ声を出しながら身悶えしたり。全編恋愛に関する絶妙のユーモアが、なんつうかイタ面白い。最後の10分になるとまた何がなんだか情報が少なすぎてわかんなくなったけど(今まで超ドメスティックな舞台だったのにいきなりタイだかカンボジアの寺院に行ったり。トび過ぎてついてけねえ。せめて字幕が判れば……)、実に楽しかったので良し。そういやあれだけボディコンねーちゃん出しといてセックスシーンがひとつも無いのも、エライ。

 しかしここまでしっかり人間とか恋愛とか描いて一本見せられると、実は逆に子供っぽいぐらいに腹立たしく感じたりもする。なんか、恋愛の感動に反抗したくなるのだ。

 恋愛ドラマから受ける感動とか面白さとかって、結局観る人間本人の経験や知識からくる、共感をベースにしたものなんだと思う。ああ俺もああしたらああやっちゃうよなあ、とか。その共感は、ひどく単純で内的なものに思える。それとは違う感動……僕の知らないなにか新しいモノが与えてくれる感動つうんか? それが、恋愛主体のドラマではゼロにひとしく、物足りないと感じる。

 えーと、例えば現代アメリカドラマの3本柱=医療ドラマ・警察ドラマ・法廷ドラマが見せてくれるのは、それぞれが僕にとっては知らない世界であって、そこにある感動はいままで僕の知らなかった感動だと言える。それを味わうのはすごく鮮烈な経験で、視点を変えれば、そう感動できるだけの説得力のある世界を描いて見せるつうのは、すごくチャレンジングなことだと思う。その究極がSFで、例えばきょう家に帰ってから見たスタートレック:ヴォイジャーのエピソードは、主人公たちが特殊メイクで顔をドロドロにしながら哲学的な思考を繰り返し、最後に溶けて全滅しちゃうという、もうハタから見るとワケわからんストーリーなんだけど、これがキチンと見れば人間性そのものに関わる実に奥深い感動を呼び起こす。

 どっちがハマれるかつうたら、僕は後者。どっちがスゲエと思うかつうたら、僕は後者。だから前者(恋愛ドラマ)で完成度の高いものを見せられると、うぐぐ敵もやりおるのォと思える。妙な話ですが。

  • 朝コーンフレーク。
  • 昼パスタ。きのうと同じ。
  • 夜韓国料理、クィーンズストリート上の「民族村(ミンゾクチョン)」で、カルグクス(腰のあるうどんみたいなの。スープは牛骨?)。有名な明洞(ミョンドン)カルグクスに比べてスープにニンニクが利きすぎてるような。あと具にキュウリやマシュルームが入ってるのはニュージーならではというか。ちょっと量も足りない。