お国のルール、お国の矜持

髪を切りに外に出ると雨。傘をさすのは久しぶり。

金曜日から4日間がイースターなんだけど、スーパーは開店するとのこと。よかったよかった。飢え死にせずに済みそうだ。どうやら法律が変わって開けても大丈夫になったらしい。

そう、この国は今までは法律で、キリスト教の祭日は店開けちゃダメだったのだ。よくこんな法律が80年代を過ぎても生きてたもんだと感嘆。これもまた、この国が外界の競争社会から離れてのんびりやってたということですか。その1部は今でも生きていて、日曜日には酒を売ってはいけないという法律。これほど馬鹿馬鹿しいものはない。こないだまでは土日がダメだった。法の論拠はキリスト教的倫理のみ。とんでもねえ。土日になるとスーパーのワインコーナーにはロープがはられて、「法律で買っちゃダメです」と張り紙がでる。たまに出してないスーパーがあるので、そこは大丈夫かと思ってレジに持ってくと、「買っちゃダメって、知ってるでしょ?」 知らないんだよお! 海の向こうじゃ酒なんてそれこそ土日に買うものなんだよお! なんとかしてくれーッ!

話は飛んで成層圏。日本じゃロクに注目されてないみたいだけど、ニュージーランドじゃ地球の反対側なのに毎日トップニュースのユーゴの戦争です。

なんで戦争が始まったかを考えてみる。ミロシェビッチのセルブ=ユーゴスラビアは、共産主義国家ではもちろんない。西ヨーロッパに攻め入る力も理由も無い。オイルをめぐる利権も無い。アメリカ大陸で運河の支配権を握ってるわけでも裏庭からミサイル打ちこめる位置にあるわけでもない。兵器産業の拡大は附加価値的なものだし、政治力の誇示のためだけに戦争をするほどアメリカは驕り腐ってないと僕は思う。……多分、これは本当に、「正義のための戦争」だったんだろう。独裁者が少数民族を迫害し、民族浄化もしかねねい勢いだった。だから、自由と正義を信じるアメリカと西ヨーロッパは、少数民族を助けるためにユーゴスラビアを叩いた……

……んだけど。まあ結果はごらんの通り。攻撃は逆に民族浄化政策を具現化させ、攻撃を受けたユーゴスラビア市民は逃げまとう。テレビの中では、か弱いコソボをいじめてたユーゴは、一夜にしてNATOにいじめられるか弱い存在になった。そんなモン見せられれば誰でもユーゴを応援したくなるわけで、クリントンの支持率はイラクの時と違ってガタ落ち。日本やドイツの時と違って完全に占領なんて倫理的にできないから、戦争が終わっても後味が悪ーくなるのは目に見えてる。これって、やっぱ戦争はなんにも解決しないってことなんかなあ。無力に思えていた「辛抱強い対話」ってのは、やっぱ最良にして最後の手段なのかも。

と、当たり前の平和主義的結果にたどり着いたのでした。

どーでもいいけど、NATO司令官のクラーク将軍って、いかにもインテリ軍人って感じでカッコイイ。