納骨

gasoline2008-10-14


そんなわけで昨日は祖父の納骨に行ってきた。初七日は葬儀と同じ日、四十九日は前倒しの休日に行ってしまう。そういうことになっている。
9時半に親戚一同とおっさん(和尚さんの意。“決算”と同じアクセント)が来て、お経を上げる。読経中、こっちがさすがに足の痺れがヤバいかなあと思うあたりで、さらっと「足は楽にして下さい」と言うタイミングには感心する。しかしイソイソと胡座にすると今度は一気に来た血流で、ぴりぴりするやらくすぐったいやらもう大変。
10時半に寺に移動。マイクロバスはきっちりと法廷速度を守るんで、いつもの寺が必要以上に山奥に感じられた。小さな谷の奥で、谷川(やがわ)には蛍もウナギもイノシシもでる、たまに来るには美しいところ。それ以外何もないのだけれど。
夏のような暑さの中、納骨が進められてゆく。墓の中にふたつあった壺は、曾祖父と曾祖母の物だろう。墓の端に羽化したての蝶が止まっていて、妹と見とれていたら、いつの間にか祖父は納められていた。あの眼鏡もいっしょに閉じられたのだろうか。
読経とともに一同墓に線香を立てると、今度は寺に入ってまたお経。台帳によると、寺は築450年程だそうだ。少なくとも一回は大震災を耐え抜いたことになる。ひんやりとしたお堂には、さすがに高齢化社会に配慮して、腰掛が並んでいた。
堂の隅に古いスピーカーとPA装置が備わっていた。不要品が出たから貰ってきたという。読経を聴かせるのに使うつもりだったんだろうが、コンソールの上にはアリアのCDが無造作に置いてあった。金ぴかな本尊。大きな達磨大使の掛け軸。古い木目がLED行灯に照らされている(しかし本当にサイバーパンクだな現代日本は!)。むかしはただ聞いていたお経だけれど、いまは読経前の指を鳴らす動作や、数珠をすりあわせる音も、なんとなく、中国やチベットやタイに広がる仏教とつながりがあるものなんだろうと思ってしまう。
南無阿弥陀仏の部分をみなで合唱して、お経は終わった。お茶とここでしか食べないようなお茶請けをいただきながら、しばし雑談。浅草寺がこんど建ててから50周年となるんだけど、それで瓦を最新のチタン瓦に替えるのに16億かかるとか、そんな話をおっさんから聞く。16億なんぞ基本檀家やら商店街やらのお布施ですぐに集まるそうだ。さすが浅草寺。田舎の貧乏寺とは違う。
1時前にやっとこバスに乗り、葬儀屋の会食場で精進明けの料理を食べて終り。料理はコースを出すタイミングが狂ったのか、後半になればなるほど出てくるのが遅く、さめたものになり、残念だった。その後家に戻って祭壇を片付け、全て終わって5時少し前。だだっぴろくなってゆく仏間で、祖母は珍しく怒ったような勢いでいろいろと指図をし、物を片付けていった。


写真は実家畑のとうがらし。