メイド嫌悪

ゴーヤーを買ってチャンプルーを作ってみたんだが、自分で言うのも難だがすっげぇ美味かった。
ゴーヤーだけじゃなくてツルムラサキも入れたんだが、あとは特に細かいこともしなかったのに美味い。ゴーヤーは適度な苦味と歯ごたえだし、ツルムラサキもツルリとした粘りを保ってコクのある味。これは料理の腕がどうこうでなくて、夏の野菜が本質的においしかっただけなんだな。
唯一失敗したのは、豚バラ肉を入れるタイミングを誤り硬くなってしまったことだけど、ははーん肉にスパムを使うってのは、これはどんなにテキトーに作っても食べられる、沖縄のぐーたら料理なんだな。いや良く出来たもんだ。これからもよく作ろう。


ミーンホワイル、たまたま読んだこの記事。

ITmedia +D:リアルなメイドさんを中国で雇ってみた

まあよくある異文化紹介系のユーモラスな記事かなと読み始めたんだけど、序盤はたと気づいて急に気分が悪くなった。

別に怠け者なメイドとの格闘を描くことはぜーんぜん面白いし、僕もニュージーランドのことさんざアホじゃアホじゃ言ってきたわけで、いいんだ。でも、ユーモアの方向性として、現実の職業としてのメイドを日本のアニメやらマンガやらのコンテキストで描くのは、一線を越えて悪趣味だと感じる。

だって、「ご主人様」とか、それ21世紀の日本に生きるリアルな人間が、別の人間に対して使う言葉として圧倒的におかしいだろ。

……うーんなんかとってもうまく言えないけれど、思い出したんだな。つい最近あった女性の監禁事件で、男が女性を「ご主人様」と呼ばせてたのを。リアルな世界の「ご主人様」ってのは、両者合意の遊びでなければ、そういう犯罪的な状況でのみ存在しえるものなんだ。そんな言葉を、ごく身近な名も感情もある人間を描くのに使ってしまうのは、とても気味悪く感じる。いや自分も極端だとは思うけど。

言い換えてみる。現代のメイドというのは職業であって、雇用主と労働者なだけだ。例えば、サラリーマンを奴隷に例えるユーモアはぜんぜんアリだけど、社長自身が堂々と、自分の社員を怠慢な奴隷に見立ててコラムを書いたら、それはさすがに気分が悪い。この記事はそれをやっちゃってるんじゃないのか?

ブームなだけあって、日本の“メイド”ってのはあまりに身近な概念になってしまった。それ以外にも、ちらっとコンビニのマンガをめくれば、女性が恋する男性を「旦那様」と読んで服従しまくるような作品が目に付いて、それがウケてるんだと思う。

でも、そんなフィクションの存在、お遊びの存在を、筆者が意識することなく外の世界に持ってきてしまうのは、ヤバいと思う。

バカっぽいエセフェミっぽい文章で自分でもヤなんだけど、僕はそう思う。