韓国好きのワケ。

過去日記を新システムでファイルするために読みなおしてるんだが、最近ちょっと多いなと思うのが、誤字、いやそりゃいつもだモトイ、韓国関係の記述の多さ。別に現地にいるわけでもないのに、焼肉だ辛ラーメンだとなにかにつけて韓国。しかも微妙に(つうかあからさまに)援韓、とでもいうか、そういうテンションの文章が多くてちょっと気色悪いかなあ、と反省。これを機にちょっと控えることにしよう。なにか書くなら別サイトでも立てて。(どーでもええが“おおくて”入力してなんで最初に“御晩生”なんて難読変換すんねん IME98!)

最後つうことで、ひとつコアなところを書いとこう。

なんで自分こんなに韓国好きかなあ、韓国を援護というか全肯定というか、そういう方向に行くかなあ、と考えてみると、根本的には実はこれ、僕が海外ドラマが好きで好きでたまらないのと同じモノなのだ。海外ドラマ好きなヒトはそれほど多くないから、漫画とかアニメとかゲームに置き換えた方がいいかもしれん。ナード体質なのだ。

僕はニュージーランドに行って、現地=イギリス系の中高生が外国語としてフランス語やドイツ語を普通に習うのを見て、それでなんで自分は英語なんて無理に習うのに隣りの国のコトバを知ろうともしないのかと思い至り、中国語と韓国語を習い始めた。イギリスのヒトがフランス語を習うように。で、発見したわけだ。中国や韓国の良さを。僕が海外ドラマの面白さを発見したのと同様に。日本のあっち系のヒトが漫画やアニメやゲームにハマり、更にコアな面白さを持つ作品を見出したように。

たぶん漫画・アニメファンにどっかのジジイがキミはどうしてそんなツマラないものを面白がるのかね、と傲慢なことを言えば、彼・彼女は義憤に駆られて漫画・アニメという芸術の小説や映画に劣らぬ独創性や奥深さ、感動の質をとうとうと語り、あなたはだいいち今まで目も向けなかったのにどうしてツマラないなどと言えようか、と指摘するだろう。

同じことだ。僕は中国・韓国を学んで、いかに今までの日本人が隣国のことを知らず、また知ろうともしていなかったか(知ったふりをしても結局ハッテントジョーコクとか、キョーサンシュギとかの実体を伴わない一言に帰結させてしまう)とまあ、義憤に駆られたワケ。

僕がアニメファンのひとに、あんなモノはたいていが低予算で紙芝居みたいなクオリティで、いくら内々で盛り上がったってやっぱりダメじゃん、所詮アニメじゃん、なんて言えば、その人は僕にまずアニメの歴史を語り、手塚治虫の功罪だとかスポンサーやテレビ局の体質によるやむを得ぬ事情だとか、それでも頑張って何か光るものを作ろうとするクリエイターの涙ぐましい努力だとか、特有の様式美だとか、欠点を補ってありあまる魅力だとかを、見事に語ってくれて、僕はぐうの音も出なくなってしまう。

韓国の諸問題を突き、批判をはじめたヒトの殆どは、僕の100倍も韓国を識り確固たる信念がある人々だと解ってるから、僕は敬服する。が、アニメを語る僕のように真の批判の上っ面だけに影響された嫌韓論や韓国やっぱダメ論を吹聴してるひとを見ると、おまえはナニを知ってそんなことを言う、向こうには向こうの理論と経緯があるのだと、とうとうと語りたくなる(実際に語るこた殆どなかったけどネ)。

こんな具合にまあ、僕が無意識に語ろうとしてしまう韓国擁護っぽいモノゴトは、アニメ擁護だとかそういうナードのアイデンティティを保とうとする反抗的論調に、実に近いものがあると思うのだ。僕は中国・韓国の良さを知っている、というささやかな優越感は、けっこう大きく表に出ちゃうもんだ。

そんな風に韓国好きな僕が、なんで未だにアニメの欠点をあげつらいことあるごとに批判し続けるのはドウシテ? と聞かれれば、まあ神は実に矛盾に満ちた人格を与えたもうたものだといわざるを得ないのだが。まあ2ちゃんねるのハングル板も毎日チェックしてオモシロがってるぐらいだしな(一時の嫌韓暴走っぷりが懐かしい)。自分でもなに考えてるのかわからんよ。